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美味 庖丁式 高家神社

房総半島最南端に位置する南房総市は、〝料理の神が棲む街〞として知られていることをご存知だろうか。
これは、日本で唯一、料理の祖神を祀る高家神社があることに由来する。
毎年、高家神社では、平安時代の宮中行事を再現した「庖丁式」が行われ、日本料理の伝統と精神を今に伝えているのだ。
南房総の「食」のルーツを辿る旅へ、さぁ出かけよう。

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長い歴史に培われた南房総の豊饒(ほうじょう)なる食の精神

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 三方を海に囲まれた南房総市の千倉駅から高家神社までは約2km。茅葺き屋根の本殿に、料理の神様である磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が祀られている。
 「主祭神である磐鹿六雁命の名は、『日本書紀』に記されているほど歴史があるんです」と、約40年にわたり高家神社の宮司を務める高木幹直さんは話す。
 延暦8年(789)、磐鹿六雁命の子孫である高橋氏が朝廷に奉ったとされる『高橋氏文(たかはしうじふみ)』には、さらに詳細な記述が残されている。
 今から約1800年前、第12代景行天皇は皇子・日本武尊(やまとたける)によって平定された東国へ訪れた際に、現在の南房総地域にある「安房の浮島の宮」に立ち寄られた。そこで、侍臣の磐鹿六雁命が、海に弓の弦をたらすと堅魚(かつお)が釣れ、砂浜を歩くと白蛤(=はまぐり)が足に触れてとれたそうだ。

 「私にも経験があるのですが、海に入って足のつま先でほじくると、貝が簡単にとれる時代があったんです。魚が足もとをかすめたりもしました。磐鹿六雁命は非常に料理上手であったとされ、とれた堅魚と白蛤をなますや焼き物にして天皇にお出ししたところ、その味が褒め称えられて、朝廷で料理を作る職・大膳職長(おおかしわでのおさ)に任じられました。南房総の海の食材で作った料理が大変喜ばれ、朝廷の調理人の最高位に就くことができたんですね」と、高木さん。
 また、宮中醤院(ひしおつかさ)では、大いなる瓶(かめ=べ)に例え、高倍(たかべ)さまとして醤油醸造・調味料の神と祀られている。醤には、野菜を発酵させた草醤(くさびしお)、穀物を発酵させた穀醤(こくびしお)、魚などを発酵させた肉醤(にくびしお)があり、今でいう漬物、味噌醤油、塩辛の三種となる。これらは日本料理の基礎をなすもので、磐鹿六雁命が料理の祖神とされるのは、このことからもうかがえる。

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「庖丁式」の秘技は、口伝。

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 高家神社で「庖丁式」が行われるのは、5、10、11月の年に3回。その起源は、約1100年前の平安時代まで遡る。当時の世を治めていた第58代光孝天皇は、料理に対する造詣が深かった。天皇の命により様々な料理をまとめて後世に伝えたのが、側近で日本料理中興の祖といわれる四條中納言藤原朝臣山陰卿(あそんやまかげきょう)だ。
 高天皇は人間が生きていくために、ほかの生き物たちを殺生しなければならないことに大変心を痛めていたようで、「犠牲となった生き物を供養し、霊を鎮める儀式の形にできないか」という想いを受け、山陰卿が「庖丁式」を完成させたのだ。
 烏帽子と直垂をまとい、右手に式庖丁、左手にまな箸を持ち、古式にのっとった無駄のない所作と熟練の技で、一切手を触れることなく、鯉、真鯛、真魚鰹(まながつお)などがさばかれていく。後世、「庖丁式」を担う様々な流派が生まれるが、本来四篠流の継承は口伝を重んじている。日本の食文化、そして日本料理の伝統と精神を伝える厳粛な儀式なのだ。
 「庖丁と箸だけで執り行う特殊な技術なので、刀主は相当な経験と修行を積んだ人のみ務めることができます。昔は神前で儀式を行っていましたが、今は、皆さんにご覧いただくために一般公開しているんです」と、高木さん。
 この儀式には一般客だけではなく、たくさんの料理関係者たちも、その妙技を見学しに訪れるのだとか。
 日本料理の伝統と精神を敬い、食材に対する感謝の心が深く根付いているからこそ、南房総は伊勢エビやサザエ、アワビをはじめ多彩な海の幸・山の幸にも恵まれている。この地で、美味しい食材と料理に出会えるのは必然なのだ。

2015/06/29 

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