行政史 [中世] 守護領国制

守護領国制

中世安房地域の武士たち

安房国の郡名の変遷

古代平群郡安房郡朝夷郡長狭郡
平安時代末平北郡安房郡朝夷郡長狭郡
鎌倉時代北郡安房郡朝夷郡長狭郡
室町時代北郡安房郡朝夷郡長狭郡
戦国時代北郡山下郡丸郡長狭郡
江戸時代平郡安房郡朝夷郡長狭郡

平群郡域の武士

 鎌倉時代から室町時代
 国府周辺 安西氏
 山下郷(三芳村) 山下氏
 鋸南町から富山町にかけての海岸線域 三浦氏
   三浦氏が滅びると鎌倉幕府の役人二階堂氏
   二階堂氏が滅ぶと執権北条氏の惣領である得宗家の支配
 多々良荘(富浦町) 三浦一族の多々良氏
   鎌倉時代の終わり頃北条一門の大仏氏の家人本間氏
 南北朝時代
 岩井郷(富山町) 鎌倉府の役人二階堂氏の所領として復活

発掘された武士の館 鋸南町下ノ坊遺跡

 館山自動車道鋸南保田インター周辺で鎌倉時代から室町時代の館の跡が見つかっています。昭和63年に道路工事の事前調査で掘建柱建物跡、堀、井戸等が検出され、武士の館の一部であると考えられています。中国製の陶磁器や渥美、常滑、瀬戸等の国産陶器、カワラケ、曲物の桶や刳物の片口鉢等の木製品や漆塗りの皿などの珍しい遺物が出土しています。
 中国製陶磁器には龍泉窯系の青白磁の優品の破片等があり、館の規模も推定方一町あることから、有力な武士の館であることはまちがいありません。
 当時、鋸南町地域に勢力のあったのは、三浦氏または二階堂氏が考えられ、鎌倉の有力武士の房総での支配の拠点であった可能性があります。

安房郡域の武士

 平安時代末 金鞠(神余)氏・沼氏
 鎌倉時代の御家人 金摩利(神余)氏・安東氏
 群房荘 安西氏の本拠と考えられている

鎌倉時代の北条得宗家ゆかりの遺跡 館山市萱野遺跡

 館山市萱野遺跡からは、鎌倉極楽寺の瓦と同範の瓦が出土しています。極楽寺は、1259年に北条義時の三男重時が創建した寺であり、この瓦が館山から出土したということは、鎌倉時代に北条氏の支配が及んでいたことを示していると思われます。

朝夷郡域の武士

 平安時代から戦国時代 丸山川流域 丸氏
 室町時代 三原川流域の三原郷(和田町) 三浦一族の真田氏

長挟郡域の武士

 頼朝の挙兵以前 長狭氏 
         平家の家人だったため、頼朝の安房上陸のときに滅亡
 鎌倉時代 東条氏 東条郷の武士で、御家人
      白浜御厨(天津小湊町) 工藤氏
      伊豆で海上活動をする狩野氏の一族で、北条得宗家の家人
 室町時代 東条氏は在地の勢力として残る
      大山寺領(鴨川市) 千葉氏の進出

東条氏の館跡か 鴨川市西郷氏館跡

 鴨川市西郷氏館跡は、江戸時代初期の大名西郷氏の陣屋跡として知られていましたが、発掘調査を行った結果、中世の遺物も多数出土しました。中国製陶磁器の高級品もあり、中世の館と同じ場所に近世の陣屋が造営されたことが明らかとなりました。当時、この地は東条氏の勢力下だったと思われ、東条氏の館跡の可能性が高いと思われます。