花栽培の歴史

花畑

南房総みなみぼうそう花栽培はなさいばいのはじまり

今こそさかんな南房総みなみぼうそう花栽培はなさいばい。始まりは、和田町で生まれ育った薬剤やくざい・間宮七郎平しちろうへいの花づくりです。大正時代に安房あわ地方で初めて花づくりに成功した間宮氏は、半農半漁の生活をいとなんでいた和田町民の生活を大いに助けたと伝えられています。

そのころの和田町では、零細農家れいさいのうかが多く、生活は楽ではありませんでした。農耕のうこうの合間に男は木挽こびきや白土り、女は背負しょでたきぎ運びや、きんちゃくあみ(今のあぐりあみ)の手伝てつだいをしていました。

七郎平しちろうへい氏は薬草や花の種を仕入れ、栽培さいばいを始めました。大正九年、寒菊かんぎく栽培さいばいし、鉄道が開通していなかったので、北じょう駅まで荷車で運びました。

七郎平しちろうへい氏は工夫くふうをこらし、寒菊かんぎくにいろいろな花をそえて「花金」(問屋)へ出荷しゅっかしました。すると1ひょう平均へいきん4円になったのです。木挽こびきの日当が50せん、女の人の日当が25せんというころでした。

親から反対され村人から冷たくされながら、一念をつらぬいてきて七郎平しちろうへい氏はついに成功したのです。本入の喜びはもちろん、村人たちの注目するところとなり、一人ひとり二人ふたりと花き栽培さいばいを始める人がえてきました。

これが、南房総みなみぼうそう花栽培はなさいばいのはじまりだったのです。

花卉かき栽培さいばいの歴史

 南房総みなみぼうそう花卉かき栽培さいばいの歴史は、安房あわ花卉かき園芸組合連合会創立そうりつ五十周年記念房州ぼうしゅうの花』によれば「伝説によると南北朝の時代、第三十五代花園はなぞの天皇てんのうひめを京都より逃避とうひさせるため淡路島あわじしまに船出させましたが、途中とちゅう海難かいなんにあい太平洋に流され、今の南房総市みなみぼうそうし和田町花園はなぞのの木花台(ぼっけだい)に船が打ち上げられました。このとき、ひめは黄色の花のく木を持っておられ、これを村人たちあたえたのが花づくりの始まりだといわれています。」と紹介しょうかいされており、和田町花園はなぞの諏訪すわ神社境内けいだいひめまつったという小祠しょうし『子の神』があります。

 また、江戸時代えどじだい中頃なかごろ江戸えど武家屋敷ぶけやしきや町屋に房州ぼうしゅうから元名水仙すいせん販売はんばいされていたという記録があり、寛政かんせい4年(1792)11月には老中松平定信さだのぶ安房あわの国を巡視じゅんしした祭の紀行文「いぬ日記」に「保田ほたといふあたりより水仙すいせんいとおほくきたり古寺にやすらふごろ、日の入りて空もなみべににそめたるが、白く三日月のみ見ゆるに黒く富士ふじ高嶺たかねのそびへれるぞ、つかれしこともわすれにけり、歌よみしもまたわすれつ、鋸山のこぎりやまに宿る。風あらき野じまがさきお海づらは月と花とのやどりなりけり」と記され、保田ほた元名あたりで当時から水仙すいせんが多く栽培さいばいされていたことがうかがわれます。

 明治時代になると、丸山町真野地区で明治19年に石井いしい辰治たつじ渡辺わたなべ文治の両氏がテッポウユリの木子(むかご)を購入こうにゅうして球根切花栽培はなさいばい輸出ゆしゅつ用の球根栽培さいばいを行い始めた。また、富浦町とみうらまちでは明治35年にボタンを栽培さいばいしてびわ問屋に出荷しゅっかしたなどの記録が残されています。その後、富浦町とみうらまち龍門りゅうもん覚三郎あきさぶろう・金木長次郎ちょうじろう柴山しばやま佐吉さきち、丸山町の石井いしい広海・座間ざま寛大ひろた衛門えもん、和田町の間宮七郎平しちろうへい白浜町しらはまちょうの早川うめ・木曽きそひろし富山町とみやままちの川名さかえ高梨たかなしぼし治など房総ぼうそう各地に花卉かき栽培さいばい先駆者せんくしゃあらわれてきました。

 戦時中は一時花卉かき生産は中断ちゅうだんされていたが戦後まもなく再開さいかいされ、大消費地東京をひかえた地の利と温暖おんだんな気候条件じょうけんとが相まって栽培さいばい面積がつづけています。また、近年では、消費者ニーズにそった観光花園はなぞのなど切り花栽培さいばいから始まった花卉かき栽培さいばいも様々な形態けいたいのものへと広がっています。

南房総みなみぼうそうく代表的な春の花

一般的いっぱんてき地域ちいきの花のシーズンは5月ごろ。いっぽう、ここ南房総みなみぼうそうでは1月からは花が畑をくしています。房総ぼうそう半島の南端なんたんは、暖流だんりゅう黒潮くろしお影響えいきょうを受け温かい(年平均ねんへいきん気温16度)無霜むそう地帯。
冬季の温暖おんだんな気候を利用して、花の栽培さいばいが行われているので、どこよりも早くお花を楽しむことができるのです。
南房総みなみぼうそうく代表的な春の花を紹介しょうかいします。

ストック

紫羅欄花あらせいとう
アブラナ科
はなやかな見栄みばえと、かおりの良さで人気のストック。くきの上部で3~5本分枝ぶんしして花がくスプレータイプのものは、ボリューム感もあり、1、2本生けるだけでも絵になります。「ストック」は英語名で「みき」や「くき」を意味し、しっかりしたくきを持つことに由来しています。

菜の花

アブラナ科
春のフラワーラインをいろどる花で、千葉県の県の花です。菜の花とは、春に花を賞美する菜の意味で、アブラナぞく全体の総称そうしょう。観賞用のものと、食用のものがあります。観賞用は切り花に向くようあまり分枝ぶんししない、食用は次々に花蕾からい収穫しゅうかくできるようよく分枝ぶんしする、という特徴とくちょうがあります。

キンギョソウ

ゴマノハグサ科
花の形が金魚を連想させることからこの名がつきました。キンギョソウのイメージは各国でことなるようで、英語名「スナップドラゴン」は「りゅうの頭」、ドイツ名は「ライオンの口」、フランス名は「子牛の鼻」を意味しているそう。
南房総みなみぼうそうはキンギョソウの産地として全国的に有名な地域ちいきの一つ。

ポピー

雛芥子ひなげし虞美人草ぐびじんそう
ケシ科
アンパンについている実は、ポピーの仲間の種(ケシの実)。
中国の歴史的人物、項羽こううつまかりが死んでこの花になったとされることから「虞美人草ぐびじんそう」ともばれています。

キンセンカ

カレンデュラ、ポットマリーゴールド
キク科
最近、食用(エディブルフラワー)としての人気が高まっているキンセンカ。
和名の「金盞花きんせんか」は花を金色のはいに見立てて付けられた名前です。「カレンデュラ」は「1ヶ月」という意味で、花期が長く、1ヶ月もつづけるように見えることから。

ヤグルマソウ

ヤグルマギク、コーンフラワー
キク科
花の形がこいのぼりのてっぺんについている「矢車」にていることからこの名がつきました。
花は乾燥かんそうしても色鮮いろあざやかなので、生花いけばなを楽しんだ後はドライフラワーにしても楽しめます。

南房総みなみぼうそうカレンデュラプロジェクト

南房総市みなみぼうそうしが「生産量日本一」をほこるカレンデュラ。カレンデュラは冬~春にかけて、あざやかなオレンジや黄色の花をかせるキク科の一年草です。地中海沿岸えんがんが原産で、日本には室町時代むろまちじだいに中国から伝わったといわれ、花の姿すがたが金のさかずきていることから、和名で「キンセンカ(金盞花きんせんか)」とばれています。

カレンデュラの魅力みりょくを多くの人にとどけたい

南房総市みなみぼうそうしでは、市のプロモーションロゴマークのモチーフの一つにもなっているカレンデュラの魅力みりょく発信に力を入れています。

2017年からは南房総市みなみぼうそうし、千葉工業大学、市民団体だんたい企業きぎょう、カレンデュラ農家が連携れんけいし、「南房総みなみぼうそうカレンデュラ」のブランド化を検討けんとう、成分分析ぶんせきや商品開発にも力を入れ、幅広はばひろい活用を目指しています。そしてカレンデュラとともに花摘はなつみ観光をげ、地域ちいきの花畑再生さいせいへ向けた取り組みも始まっています。